[鼎談]当事者とつくる、一人ひとりを解放する共生社会 丹野智文×堀田聰子×紀伊信之

認知症当事者、研究者、コンサルタントの立場を超え、一人ひとりが多様性を持った当事者であるとの思いを共有する3人が、「共生社会」のあり方について語り合いました。

丹野智文(たんの ともふみ)/左・堀田聰子(ほった さとこ)/中央・紀伊信之(きい のぶゆき)/右
丹野智文(たんの ともふみ)/左
おれんじドア代表。
東北学院大学卒業後、ネッツトヨタ仙台に就職。トップセールスマンとして活躍中の2013年、若年性アルツハイマー認知症と診断される。診断後は営業職から事務職に異動し勤務を続けながら、認知症への社会的理解を広める活動を開始。2014年、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」(現・一般社団法人「日本認知症本人ワーキンググループ」)の設立に参画。2015年には、認知症当事者のためのもの忘れ総合相談窓口「おれんじドア」を開設。2019年には「認知症当事者ネットワークみやぎ」を結成。精力的に自らの経験を語る活動に力を入れている。著書に「丹野智文 笑顔で生きる―認知症とともに―」(文芸春秋)、「認知症の私から見える社会」(講談社)がある。
堀田聰子(ほった さとこ)/中央
慶應義塾大学大学院 健康マネジメント研究科 教授(認知症未来共創ハブ リーダー)。
京都大学法学部卒業後、東京大学社会科学研究所特任准教授、ユトレヒト大学訪問教授等を経て2017年4月より現職。博士(国際公共政策)。社会保障審議会・介護給付費分科会及び福祉部会、政策評価審議会等において委員、人とまちづくり研究所代表理事、日本医療政策機構、コード・フォー・ジャパン等において理事を務める。中学生の頃より、おもに障害者の自立生活の介助を継続、より人間的で持続可能なケアと地域づくりに向けた移行の支援および加速に取り組む。訪問介護員2級/メンタルケアのスペシャリスト。日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2015リーダー部門入賞。
紀伊信之(きい のぶゆき)/右
株式会社日本総合研究所 高齢社会イノベーショングループ 部長/プリンシパル。
1999年、京都大学経済学部卒業後、当社入社。一貫して、マーケティング戦略、ブランド戦略、営業力強化、新規事業開発等「市場」に関わる各種コンサルティングに従事。ホームヘルパーの資格を取得して、有料老人ホーム等介護現場のコンサルティングに携わって以降、シニア・介護領域の調査・コンサルティングに注力。認知症共生社会づくり、公的保険外サービス、介護現場へのテクノロジー活用などの官公庁、自治体、民間企業の各種プロジェクトに携わる。

傾聴と対話でバイアスを取り払う

紀伊
私は10年ほど前に有料老人ホーム向けのコンサルティングに携わった際、シニアや介護の世界には多くの課題があることを改めて実感しました。同時に、そうした課題の解決には、マーケティングや新商品開発などの自分のバックグラウンドが少しは役に立つのではないかと思い、徐々にこの世界に足を踏み入れてきました。最近ではある官公庁のプロジェクトで堀田先生や丹野さんにもご協力いただいています。
ともすると、シンクタンクやコンサルティング会社は上から目線で「これが正解です」と言うようなイメージを持たれがちですが、実は、話を聞いて一緒に答えを見つけていく、対話をしながら新しい価値を創っていくというのはとても大切なことだと思っています。丹野さんは認知症の当事者として、堀田先生は「認知症未来共創ハブ」などの活動を通じて、日頃から「傾聴と対話」を実践されていらっしゃる、そんなお二人に、「傾聴と対話」や「共生」についてどのように考えているかお聞かせいただきたいです。
丹野
私は元々営業マンなので対話の大切さを感じています。「今日は寒いよね~」「こういう日はラーメンが食べたいよね~」と言葉のキャッチボールから会話が始まりますよね。でも、福祉の現場の方々は「丹野さんいつ認知症になったの?」「それってどんな病気?」「何に困っているの?」と、書類に書くために質問しているだけなんですよね。これで関係性を創ろうなんて無理な話です。私はそれがいやで、当事者と話をするときは、必ず「何を食べたい?」とか「何をやりたいの?」と聞くようにしています。そうすると、何に困っているのか、何がうれしいのかちゃんと分かるんです。
堀田
できれば認知症になりたくないという人が多いのは、認知症になったら何もわからなくなると私たちが思い込んでいるから。では認知症のある方ご本人は、どんな願いや喜びを持っているのか、社会が追いついていないからこそ生まれる苦労とどうつきあっているのかお聴きしようと、当事者インタビューを始めました。認知症のフロントランナーは、医師でも介護職でもなく、認知症とともに暮らす当事者。いわば「経験専門家」の想いや経験、知恵から、ともに社会をアップデートしていきたいという考えです。もう100人以上のお話を伺い、語りを構造化して「当事者ナレッジライブラリー」や「認知症世界の歩き方」として公開しています。体験は一人ひとり異なりますが、大きなところで共通する点もあります。
丹野
本人は今までと変わっていないのに、認知症と診断された途端に「子ども扱いされる」「一人歩き禁止」「財布を取り上げられる」人が多いです。本当は買い物に行きたいのに、周りの人が当事者のために買ってきてあげてしまう。同じものがこっちのお店では30円割安だったらワクワクしますよね。レジ脇でおいしそうなものがあったら予定外のものを買うのもワクワク。それをなしにして、買ってきてあげて届けるのが正解だと思っている人が多いです。でも、Google Mapを使えば一人で外出できるし、時間の記憶が曖昧だったらアラームを活用するのも便利です。ワクワクドキドキがあってこそ人生は楽しいのに、ついついワクワクドキドキを奪ってしまうことが多いんじゃないかなと思っています。
堀田
ふだんは周りに迷惑をかけてしまうからと黙っている、ふたをしている「やってみたい」気持ち、ワクワクドキドキにノックするとだんだん思いがにじみ出してきます。やってみたいことは過去の延長にあるとは限りません。認知症のある方も日々新しく生きておられ、その出会いからやってみたいことが出てくることも多いです。以前の職業や生活様式にとらわれすぎずに、とにかく一緒に時間を過ごしてみてほしいですね。

福祉の世界をマーケティング発想で捉え直す

丹野
最近、認知症向けのアプリを開発したいと企業の方が相談にくるのですが、私はそんな新しいアプリを開発するよりも既にあるアプリの使い方を教えてくれればいいのにと思うんです。「最近花の名前が覚えられなくて」という人がいたら、「じゃあこうやって花の写真を撮れば、そのアプリが花の名前を教えてくれるから安心だね」となりますよね。半日でいいから認知症の人と過ごしてみてほしいです。私たちが何に困っているのか、何をしたいのか見えてくるはずです。それをかなえるために一緒に考えてくれる、そんなスタンスがうれしいですね。
堀田
失敗させないようにと先回りしたり、新しい商品を考えてくださったりする家族や企業が多いですが、失敗してもいいんですよね。私たちもいろいろやってみて失敗して学んでいくわけで。
丹野
間違った方向の電車に乗ったら戻ればいいし、トースターのパンを焦がしてしまったらまた焼けばいいんです。それで最終的にうまくいって、成功体験で終わるような経験を重ねていくことで元気になるのではないかなと思います。
紀伊
駅で切符を買うとき、スーパーで買い物するとき、銀行でお金をおろすときなど、失敗を取り上げないで、ワクワクをプロデュースするということですね。そうすると新しい体験、サービスがまだまだ創れそうですね。
丹野
スローレジみたいに、失敗してもいいATMがあればうれしいです。このATMだけは操作に時間がかかってもいいし失敗してもいい、だからそれを許せる人だけ並んでね、待てない人は他のATMへどうぞ、というのがいいですね。
堀田
あんまりスマートにやろうとしすぎないこと、煩わしさを残すのも結構大事です。スマートにしすぎると、時に成功体験も失敗体験も、仲間と知恵を絞る機会もなくなってしまう。当事者も小さな失敗をしながら毎日学び続けています。本人のできること、できないこと、やってみたいことは日々更新されていくので、「作りこんであげよう」と構え過ぎず、対話を続けることが大切だと思います。
まずは、自分たちの商品・サービスを売るためでなく、認知症の方のためにでもなく、一人の人として面白がってみてほしいですね。当事者がワクワクすること、やってみたいことに着目してほしいです。
紀伊
自社の製品・サービスの枠にとらわれず、まずは一緒に体験して楽しんでみることで、結果として、思いがけない潜在ニーズの発見につながるかもしれませんね。

自分の中の多様性を解放する共生社会

紀伊
丹野さんが考える共生社会とはどんな世界でしょうか?
丹野
忘れても「助けて」と言える環境です。私は勤務先に行っても自分の席や上司が分からなくなるときがあるのですが、同僚に「私の席はどこ?」と聞くと「ここだよ」、「私の上司は誰?」「この目の前の人だよ」「ありがとう」と、それで済むんです。みんなが普通に「助けて」と言える社会になってほしいです。でも、日本は察する文化が強すぎて、企業の中でも障害がある人のことを察して配慮しようとしますね。「これはやらなくていいよ」「この会議には出なくていいよ」と勝手に決めてしまいます。障害者はひとくくりにされている印象がありますが、元々多様性を持っている個人であり、その人の得意な部分を生かした仕事づくりというのがあると思います。また、障害があっても認知症になっても働ける環境はとても大切です。病気になった人が解雇されたら、みんな病気を隠そうとするでしょう。病気になっても自分がこうして働いていれば、他の社員も安心して病院に行けるでしょう。企業にはそうした環境を創っていただきたいです。
堀田
丹野さんは元営業マンで、認知症で、父親・夫でもある。共生は、自分の中にある多様性を自分で喜べること、これは多様な人たちと一緒の時間や感情を分かち合うことから育まれると思います。イリイチの「自立共生(コンヴィヴィアリティ)」(*1)の原義は「宴」です。共にやってみる、創ることからしか生まれない。認知症に限らず、感染症や災害など、人にはどんな試練がやってくるか分からないですが、いざ変化がきた時に、「ま、いいか。そうきたか」とつきあえるか、まず自分で自分を許してあげるのが一歩かもしれません。
紀伊
困ったら助けを求めることができて、しんどくなった自分に対して「ま、いいか」と思えるか、価値観の変革が必要ですね。自分も社会の一員で、さまざまな顔を持っていて、病気にもなるかもしれない。人を肩書とか病気とか一つの要素で決めつけない、先入観を持たない、そんな社会はみんなにとって住み心地がいい、それが本当の意味での共生なのかもしれないですね。誰もが認知症になる可能性があるのですから、認知症の人々と対話してみて、そこから自分ごととして気づくことがあるはずです。医療・介護やケアの従事者だけではなく、さまざまな企業が関わることで、当事者の暮らし全体、もっと言えば社会全体がやさしく、喜びに満ちたものになると思います。本日はありがとうございました。
(*1)思想家イヴァン・イリイチが、産業主義的な生産性の正反対を明示するために選んだ言葉で、人どうし、人と環境との自立的で創造的な交わりを意味する。